第4章 アーティファクトを人間に適合させる
この章には何が書かれているか
著者が行った作業記録に関する実験で一人の女子学生がメモを使ってそれに答えた、というエピソード
心は、意味のある材料なら、その材料がパターンと構造をもつ限り、非常に大量に保持できるようになっている
そうでないものは覚えにくい
わざわざ覚える必要はない→メモを使えばいい
簡単なタスクなら、メモするよりも覚えておくほうが簡単な場合もあるが、それが無意味なものである必要はどこにもない
rashita.iconここから言えることは何か
アーティファクトはタスクを変化させる
書き留めることによってタスクそのものが変化するわけではなく、覚えておくというタスクが後でそれを読み返すというタスクに変化する
これを二つのビューで評価する
パーソナル・ビュー
タスクが変化しただけ
システム・ビュー
人と道具(アーティファクト)からなるシステムの能力が向上している
アーティファクトは習得する必要がある
アーティファクトを持てば、それで万事OKではない
説明を受けたり、理解したり、練習したりする必要がある
rashita.iconそうすることによって、人と道具のシステムが形成される、と言えるだろう。
その習得が、うまくいく人もいればいない人もいる
それがなぜなのかを考えることは、アーティファクトの研究であり、人間の能力の研究でもある
表層表現と内部表現
現代の電子システムでは、スイッチやメータとシステムとの状態の間には恣意的・抽象的な関係しかない
だから覚えにくい
捜査方法なども適当に決められている
rashita.icon適当に決められる、というのが抽象化の特徴であり、その副作用としてうまく使えない道具が生まれていると言える。
物理的なフォルダであれば、閉じている開いている、中身がいっぱい空っぽということは見ればわかるが、電子システムではそうとは限らない
私たちは知覚を通してアーティファクトを理解するが、十分な情報が提示されていないと理解が難しくなる
表層的アーティファクト
表層しか持たないもの
知覚できるものが、存在するもののすべて
内部的アーティファクト
情報の主要な部分が内部にある
利用するためにはインターフェースが必要
受け身のアーティファクトと能動的なアーティファクト
受け身のアーティファクト
ユーザーの行為によらなければ表現を変えられないもの
ex.黒板、紙切れ
能動的なアーティファクト
自分自身で表現を変えられるもの
ex.時計、電卓、コンピュータ
機械仕掛けの時計は能動的+表層的なアーティファクト
コンピュータは能動的+内部的アーティファクト
人間は内部的アーティファクトに近い
見えているものがすべてではない
p.147 人間がお互いにやりとりするときには、考えていることを表層表現に変換し、相手がアクセスできるようにしないといけない。つまりアイデアをことばや表現、身振り、マイム、動作、スケッチ、あるいは音に変えて表現する──意図を相手に伝えるために感覚能力を総動員する──ということである。
人間とアーティファクトは内部表現において違いがあるかもしれないが、表面表現では似ているか補うものでなければならない
rashita.iconそれがインターフェース(接面)ということだろう。
https://scrapbox.io/files/6481419a268931001cb8a782.png
この表面表現を正しく定めることがデザインにおける大きな問題となる
講演におけるスライドの役割
作業場所の共有
共有作業
記憶の永続性
記憶の量
知覚処理
個人差
ハイノの塔から考える
通常のドーナツパズルとオレンジパズルコーヒーカップパズルというアレンジ
それぞれにおいて必要な規則が違ってくる
規則が少ないほどパズルはやさしくなる
物理的な形態や性質が、規則と同じ制約を与える
rashita.iconわざわざ知的操作としてそうした制約を意識する必要がなく、私たちがそれについて知っていることが利用できる、ということだろう。
→外部表現が能力を増強してくれる
このアレンジは、大学院生のジャージィ・チャンによる
問題表現の3つのレベル
問題を解く人の心の中
物理的なパズルそれ自体
その問題を理解する科学者の心の中(抽象的な理解)
rashita.iconノウハウ話は第三のレベルで展開されることが多いが、実際は一つ目と二つ目の話にならないといけない(実践できない)のではないか。
私たちは、数学や記号の論理で機能していない。知覚的なルーチンによって機能している
私たちが知覚しているものは、必ずしもそこにあるものではない(コントラストによって色の見え方が変わることなど)
グラフ表現
グラフ表現は、18世紀の終わりから19世紀初頭まであまり使われなかった
円グラフと棒グラフでは、大きさを比較する容易さが異なる
原点が省かれた棒グラフは、私たちの知覚処理をごまかしてしまう
表現について
ある関係を表現する「正しい」方法はないが、はっきり間違った方法はある
表現というのは、分類・整理と検索の面に関係しているので、どうするのが適切かは、タスクに依存する
表現のシステムが強すぎると、実際の情報が保証している以上の結論を引き出しがち。
表現の形式が弱すぎると、ユーザーの処理の負担が増える
rashita.icon適度な強さ(justな強さ)が良いということになる。
たとえば、タスク管理ツールにおいて、表現Aと表現Bの関係(たとえばタスクとプロジェクト)という視点もあるだろうし、タスク管理ツールと合わせてメモツールを使っている場合、それぞれのツールにおける表現の関係、という視点もあるだろう。
よって、ある人の部分的な物まねは、それだけではうまくいかない可能性が高い、と言える。
アナログ表示とデジタル表示の良し悪し
何を知りたいのかによる
両方使う方法もある(航空機の高度計)
https://scrapbox.io/files/6487c8d9d4ea3e001bcfcf40.png
細かい値はアナログで、大きな値はデジタルで
腕時計を読むのは案外難しい
二万種類もあるモノの使い方をどうやって人間は覚えているか
道具そのものをヒントにする
物理的な道具は、見てわかることが多い
アフォーダンス、マッピング、制約がある
人間の特性
理解:原因・目的を求める
体験:物語、出来事を覚えるのが得意
些細なことを覚えるのは苦手
rashita.icon動物全般的にそうだろう。人間が、というよりも現代の人間社会だけが些細なことを覚えるように要求してくるし、そのことに僕たちは疑問を覚えていない
探索:はっきりしていなかったり、隠されている場合でも、パターンや意味を見出す
これらの特性は、工業的・技術的な生活が要求するものと軋轢を起こす
私たちは社会的な生き物
小さなグループでコミュニケーションと仕事を行い、成果を上げる生物として進化してきた
豊かで変化の多い社会的環境が前提
見つけ出すことのできる関連は、どんなものでも利用できるし、解釈を発明することもできる
rashita.iconいわゆる発想は誰にでも開かれた能力
この能力が、カオスな世界を意味付けしてくれる
情報をベースにしたテクノロジー
目に見えないテクノロジー
知識や情報は目に見えない、形態がない
単純化・抽象化されすぎて、人間の能力がうまく使えなくなっている
デジタルメディアの不利な点
アクセスを容易で、わかりやすくすることが課題となる
メディアは内容に関してはまったく中立で、それがメディアの力でもある
しかし人間にとっては形式と内容が問題となる
人間には意味のあるアクセス可能な表現が必要
道具のデザインに依存する側面が強くある
だからこそデザイナーの仕事が重要になる
デザインとは、物語のようなものでなければならない
テクノロジーとアフォーダンス
アフォーダンスは「それで何ができるか?」という感覚・認識
椅子は支えることをアフォードする
一番目立ったアフォーダンスが採用される
発見するのが難しいやり方ではない
テクノロジーにもアフォーダンスがある
rashita.iconあるツールに特定の操作が可能だからといって、それをやりたいと思うわけではない、というのはこの「目立つアフォーダンス」という点が関係している。
テレビはシリアルで時間によってペースが決まる
受動的でいられる性質がある
新聞などの印刷メディアはパラレルで、自分でペースが決められる
内容に向いている
印刷メディアは空間的
音声メッセージシステム
非常に使いづらいし、イライラさせられる
アフォーダンスがマッチしてない
多数の選択肢から選ぶような使い方には向いていない
テクノロジーは一連のトレードオフを与える
グルディンの法則
仕事をする人と利益を得る人が違う場合には、そのテクノロジーは最初からうまくいかない。あるいは少なくとも、すたれていくものである。
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